28 January, 2010

グラミー常連のキューバ人ピアニスト、オマール・ソーサ(Omar Sosa)のビッグバンド作が日本先行で発売決定 - CDJournal.com ニュース

<以下、転載>
今年もグラミー賞(ベスト・コンテンポラリー・ワールド・ミュージック・アルバム)にノミネートされているキューバ人ピアニスト、オマール・ソーサ。これまで20枚以上の作品をリリースし、キューバの伝統音楽や西アフリカ、ヒップホップ、ブラジル音楽など、各地にあるアフロ系音楽を吸収し再構築している彼の世界観は、ここ日本でも多くのファンを獲得しています。

 そんな彼のニュー・アルバム『セレモニー』(BG-5084 税込2,730円/写真)が2月7日に日本先行でリリースされます。今作は北ドイツ・ラジオ所属のNDRビッグバンドとの共演によるラテン・ジャズ作品。ブラジル音楽界の鬼才ジャキス・モレレンバウムが指揮・アレンジを手掛け、オマールの演奏するピアノ&マリンバとビッグバンドのサウンドがスリリングに調和した、最新のアフロ・キューバン・ジャズを奏でています。

 現在今年中の来日公演を調整中ということで、オマールのファンはもちろん、ビッグバンド・ファンにも見逃せない公演となりそうです。

11 January, 2010

Avatar

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明けましておめでとうございます!
昨年は年末になるにつれて徐々にBlogの更新が疎かになりました。
このBlogも密かに海外のBlog Awardに掲載されるなどしており、今年は改めて定期的なUpdateを心がけるようにしたいと思っています。
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して今年最初の記事は、、、、、、、James Cameron監督による"Avatar"。
年始早々にして音楽ネタから離れるが、今年最初のこの大きな衝撃はやはり書かざるを得ない。

当初は3D映画であるということも知らず、また予告編でも少し奇妙なSF映画くらいの印象しか受けなかったこの映画について、初めて印象を覚えたのは実はTechCrunchによる"『アバター』は映画の未来にiPhone登場なみの衝撃を与える"を読んでからだ。
僕はこの記事のTitleに全面的に同意をしたい。


ここで勘違いをしないで頂きたいのは、Avatarという映画はTechnologyの集大成ではあるが、決してその最新鋭のTechnologyにFocusすべき映画ではない、ということだ。
これは列記としたPrimitiveな映像作品であり、芸術作品であるということを決して思い違えないで頂きたい。

Storyは比較的平凡なFantasyだ。
設定も、「ただの映画」であれば昔からあるSF物と同じようなものと言って差し支えない。
しかしそれの映像の中にあるはずの世界が、本当に目の前に広がっていて自分があたかもその世界に存在しているかのような錯覚を覚えるほどのものであれば、途端にそれは凡百のSF映画と全く質の異なるものになる。
だからこそ一人が何度も映画館に足を運び、「もう一度あの夢のような体験をしたい」と強く願う。

Avatarを3D映像で観ると、観客はその世界に自分もいるような錯覚に陥る。
Dragonに乗って空を飛び、目の前の瑞々しいジャングルからはむせるような緑の匂いがしてくるような気すらする。
Final FantasyのようなRPGのGameに夢中になった世代の男子であれば、誰でも一度はFantasyの世界に憧れを持ったことだろうが、このAvatarが登場するまでの全ての映像作品は「絵本の世界」でしかなかった。
読者が各々の想像を交えて、自分の体験の小さな枠組みの中で一生懸命に夢を思い描くしかなかった。
(勿論、それにはそれで良いところが沢山ある。)
しかしAvatarは映像と音、優れたストーリー構成の全てで観客を否応無くその世界に導く。
これは「想像」ではなく「体験」なのだ。
そこがこの映画が今までの芸術作品と、Avatar以降の表現作品を明確に区別する最大のparadigm shiftだと思う。

ホラー映画であれば、話は逆だろう。
ホラー映画ほど直接的な表現が陳腐に見えてしまうものもない。
あの手の類の映画は鑑賞者の潜在的な恐怖心と共感が必要なので、昔のホラー映画の方が実は怖かったりする。直接的な描写が少ない方が、かえって観客はその空気感に没頭できるのである。
恐怖心は基本的に人の中に共通して存在している感情であるから、それは表現できる技術が少ないことが、かえって人の恐怖心を煽る結果になる。

しかしSF映画はその表現したい人の発想を伝えることがそのまま観客に伝わるとも限らない。
得てして「ま、映画だし」「ま、SFだし」という妥協を観客と合意した上で観る映画だというのが今までの既成概念だ。
だからこそAvatarの登場は世界中に存在する映像作品に「観客に、表現者の創り出した世界を体験させる」という全く新しい選択肢を創り出した。
(これがスプラッター映画などに応用されないことを願う次第です。。。)

音楽であれ映像コンテンツであれ、全ての表現という表現に携わる人間はこの新しい価値観を体験し、そして歓迎するべきだと僕は思う。
書物を読む事と、映画を観ることの定義も価値も目的も異なるように、作品にはその作品のコンセプトに最大限合った表現技法を用いるべきなのだから、この新しいparadigm shiftによって明日から先に表現者はその選択肢を考慮に入れるべきなのだ。
Contentsは技法のために存在してはならず、技法はContentsのために存在しなければならない。



恐らく公開終了までにあと数回、僕はAvatarを観に行くことだろうと思う。
もう一度あの美しい世界を体験したいという強い欲求が、この映画を観た後は抜けきらない。
あれは小さい42inchや46inchの映像と、少しお金をかけた程度のオーディオで観たとしても全く価値はない。
是非あれは少しでも大きく、少しでも音響設備の優れた場所で、少しでもリラックスして観ることをオススメする。


ちなみに対して今回音楽に関して取り上げなかったが、サントラも買おうかと思っているということだけ最後に書いておく。